2015年9月1日火曜日

コミューンについて

共産趣味の人は、一緒に働いて一緒に生活・消費するというコミューンに入ってみるのもいいかも。武者小路実篤創立の埼玉の新しき村、ブラジルのユバ農場に行った。一人で暮らす気楽さを好むため、見学するだけにとどまったが。行ったことはないが、静岡の木の花ファミリーに入った知り合いもいた。新しき村は過疎っているが、ユバ農場は40人くらいいて、平均年齢も若い。
ヤマギシズムは私有財産を全面的に否定し、入るときに財産を寄付しなければならないという過激なものらしいが、これらはそういう過激さはない。私有財産全否定がなんでいやかというと、そのコミューンが合わなくなったとき、そこから出て外で生きていく選択肢がなくなるからだ。生産手段の共有はいいとして、消費財の私有まで否定するのはまずいと思う。
個人でも集団でも、自己観察、自己反省がないと気持ち悪くなる。すなわち独善的になり、押し付けがましくなる。それがカルトの気持ち悪さ。ブラック企業も、「自分たちが利潤追求最優先で仕事をしていることは正しい」という考えに無自覚にはまっている。無自覚にはまるところの「自分たちは正しいという考え」は、どんなものでもいい。無自覚になれば、どんな集団でもカルトになる可能性がある。「ヤマギシ会見聞録」近藤衛を読んだ。 1999年のヤマギシ会への潜入ルポ。この時期のヤマギシ会は気持ちが悪い。今は穏健化しているかもしれない。経済的な相互扶助だけ考えれば、コミューンに入るのもいいだろうが、そこが精神的に気持ち悪い所なら意味が無い。
コミューンでいうと、新しき村は気持ち悪さを感じなかった。一つは、コミューン内で生活する村内会員と、外の世間で生活する賛同者の村外会員という二本立てで構成されていること。それにより、一定の客観性が担保される。村外会員は会費月500円で、機関誌が送られてくる。一般財団法人になっているのだが、その代表である理事長も村外会員の人がやっている。もう一つは、外部との交流があれば、独善に陥る傾向は薄まる。埼玉の村は坂戸の住宅地に囲まれているため、近所の人が村内で犬を散歩させていた。ある村外会員と話したところ、「君は君、我は我、されど仲よき」と、押し付けがましくないことを理念として掲げているためではないかとのこと。ブラジルのユバ農場も気持ち悪さは感じなかった。全体主義は押し付けがましい。全体主義でもなく、個人主義でもなく、全体と個人の両方を尊重し、両立をめざすのがいいと思う。

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