2025年3月30日日曜日
2025年3月11日火曜日
世間教
日本では、キリスト教のような一神教ははやらない。
その代わりの行動規範として、80年代頃までは「世間並にやっていればうまく生きられる」という世間教があった。「世間並に学校に行き、就職し、結婚する。そうすれば世間並みにいい人生がおくれる」という行動規範である。それは実際に有効な処世術だった。それだけではなく、宗教的な力、行動規範としての力があった。現在は処世術としても、以前より有効性は少なくなった。それもあってその宗教的な力は弱まっている。
その行動規範は、世間並に生きている人には、ポジティブな感覚を与える。しかし「世間並に行きなければいけない」と、生き方を縛る面もある。なので、世間並みに生きられない場合は、ストレスの元になる。
一般的に言って、宗教にはポジティブな感情を与える面と、生き方を縛る面の両面があるのでは。自分も、世間教の影響は受けていた。なので、若い頃は平日昼間に散歩していると人の目が気になったりした。しかし自分の場合は、「自分に合わないことをすると死ぬ」という感覚があった。自分に合わないことをすると、ストレスから寝れなくなったり、お腹が痛くなったりするからである。「自分に合わないことはやめよう」という行動規範が、世間教の行動規範を上回った。なので、世間教の影響が少なくなった。
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